美山に通い始めた1980年代・・やはり一番のお勧めはこの唐戸渓谷だったと思う。
各支流はそれなりに釣れるには釣れたが、やはりその年の状況に大きく影響され、特別区を除けば餌釣りで抜きやすい小渓流に魚は殆ど残らず、極めて薄い魚影とわかっていながら雑魚混じりでも何とか釣りたいという情熱だけが先行していたのかもしれない。
その後色々な河川を知るにつれ、注いだ情熱の割には見返りが少なかったと言う想いが止め処なく湧く・・・しかし、当時この水量豊富な唐戸だけは入渓する前から期待が持てた流れだった。
『つ抜け』等は願っても無理だが、今では納得せざるを得ないサイズの17センチは小ぶりのあまごで20センチ前後に25センチクラスも混じり、どれもが『モコッ・・』っと良い出方をしてくれて、悪くとも1、2匹・・調子が出れば数匹釣れる美山の核心部だった。
それでもこの頃出会う年配のテンカラ師は「万博の年からやってるが、以前ははもっと釣れた。」と嘆いて居られたのが想い出される。
美山川を上流に佐々里川との分岐点にある出合橋を目指すと少し手前に「芦生ロードパーク」があり、駐車してトイレ休憩ができる。今でも佐々里を目指すと必ずここに車を停めて唐戸渓谷を見下しながら一服つける場所でもある。
私なりに唐戸渓谷が良かったと思えるのは、この「芦生ロードパーク」ができる前ぐらいまでである。90年代に入り二間半の硬調渓流竿の餌釣師が減り、軟調長竿の餌釣師が増えだすと魚のサイズが小さくなった。
ドライでは一層厳しくウェットを用いても17センチ平均で20センチアップは極まれで23センチが出ればその年のベストサイズと言う状況になった。
虹鱒が異様に増えたのもこの頃からである。その後年々魚影も薄くなりこの頃からそれまで多かったテンカラ師に代わってフライフィッシャーをお見受けする様になってきた。そして一等地に居座るカワムツに遊ばれてノーアタックの日も出始めた。
そしてとうとうこの場を見切り、一時期は解禁の成魚放流ライズ捕りを除いて盛期の美山全域を見切ったことがある。
再び舞い戻ったのは佐々里がC&Rになった翌年あたりからだが、この唐戸は見切ったあの日を最後に未だ竿を出していない。
私のお気に入りは「唐戸の渓谷」という看板があるカーブで渓に降りたところにある中州から「芦生ロードパーク」までを釣り上がるコースで、そこから出合橋までは荒々しい渓相でもあり、ウェットで泡の脇の筋から引きずり出す程度・・その頃の私には厳しい流れだった。もし佐々里C&R区間がこの唐戸渓谷まで延びてきたら・・・あの80年代の状況はもとより・・かつてテンカラ師がおっしゃった70年代の状況が再来するのかもしれない。・・・まあ願っても無理な話だろうが・・・
・・・・・とココまでは見切った時期までを思い出した話・・
・・・で2008年に様子を見に降りたところ、猫柳がなくなり貧弱な渓相になっていた。どうにか一匹釣ったものの、かなり厳しい状況と言える。
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